今日はミキハウスの一社員で在りながら、4年以上も有給休暇をとって自転車で世界一周旅行に出かけ、戻って再び同じ会社で働いている坂本達さんがどうしてそんなに長く有給をもらえたのか又奥さんや子供はいるのだろうかと疑問があったので調べて見ました。
坂本達 (さかもと たつ)
1968年生まれ 47歳 ミキハウスの社長室勤務
1995年から99年にかけて自転車で世界一週旅行をされました。
「やった。」―4年3カ月も有給休暇をもらって世界一周5万5000キロを自転車で走ってきちゃった男 (三起商行)と言う本を書いています。
子供の頃から自転車で世界一周をしたいという夢を持ち続け、それを実現させた人です。
ホントに有給貰いながら世界一周の夢を叶えたんですね。
およそ50キロもある荷物を積んで自転車で世界を旅するなんて男らしい旅の仕方ですね。
坂本さんは子供の頃からの夢だったそうです。
小学校2年生の時に父親の仕事の関係でフランスへ行き5年生の終わり頃日本に戻って来ましたが、新しい学校に馴染めずに行きたくなくなった時があったそうです。
帰国したばかりの時に、みんなからいろんな目で見られたり、お気に入りのズボンを馬鹿にされたり、筆箱やカバンを「なにそれ!」
「変なの!と言われたようで、結構気持ちが暗い時があったようです。
その頃父親に世界地図を見ながら、いろんな世界の話をしてくれ、父親から。
「学校はつまらないかもしれないけど、それが一生続くわけじゃない。世界には色んな人達がいて色んな考え方があるから、お前の事を受け入れてくれる人が絶対どこかにいる」
と言われた事が純粋に世界を意識したと話しています。
小学校3年生の時にフランスで、ツール・ド・フランスという世界最大の自転車レースがあってそれを見てから自転車に興味を持ったようです。
自転車で世界一周をする!
彼は子供の頃からその夢をずーと持ち続け実現したのです。
26歳で行くと決めていたらしく。
大学卒業後、ミキハウスに入社したのですが、その夢は変わらず思い続けていました。。
入社4ヶ月目で
当時ミキハウスでは会社が「夢を応援しよう」という「やる気プロジェクト」らしきものがあり、社員全員が企画書をだして提案できる制度があったようです。
普通そういうのは、仕事と関係のある事書きますよね。
どんな仕事をしたいとか、資格を取るとか、でも坂本さんは入社4ヶ月目で「自転車で世界一周したい」と3年間書き続けたそうです。
もちろんふざけてると思われて返事も無かったそうです。
4年目に入ってこれは会社にいては実現出来そうにないと思い。
自分でスポンサーを探し、そのリストをつけて辞めると決めて最後のアンケートを提出したようです。
そのスポンサーが
松下電器産業
コダック
ニコン
オリンパス
三菱レイヨン
シチズン
シマノ
パタゴニア
モンベル
ワールド通商
キャノンデール
マレーシア航空
結構有名な会社ですね。
このスポンサーの見つけ方も、ミキハウスで働いている間に培ったものだそうです。
仕事はまじめに働いてとても楽しんでいたようです。
家族のような会社なので、自分が世界一周の夢の実現の為に辞めるというと心配すると思って「申し訳ありません、個人的な夢にチャレンジします。お役にたてないままで本当にすみません……」と手紙を書きました。
正直ですね。
社長は彼が書いたレポートを3年間見ていたそうです。
社長は冗談だと思っていたそうですが、本気だったことを知って「辞めなくても良いから行って来い」と言ってくれたそうです。
坂本さんはひと目を気にするタイプだったので、他の社員の手前、無給で良いと申し出たそうです。
がしかし、社長から有給で良いと言われて月一回のレポート提出と世界の子供が喜ぶような写真を撮って来なさいと言われたようです。
他には「元気で帰って来ること」などの声をかけられたと話しています。
旅行中に昇給もあって、ボーナスもでたそうです。
世界一周旅行から帰って来と時に社長から「変な病気持って来なかったか?」と言われてがっくりしたと書いてありました。
ホントは心配していたんでしょうね。
夢を持って
ミキハウスと言う会社自体の思いが「子供たちが夢を持って成長できるように、子供たちが笑顔で世界が明るくなるように」とあり。
スポーツなどにも力を入れていて、マラソンの藤原新選手や柔道の野村忠宏選手が所属しています。
卓球の福原愛選手は、小学2年生から高校生までミキハウスジュニアスポーツクラブに所属していました。
社長自ら毎週野球をしているそうです。
坂本さんは帰って来られていろんな活動をされています。
旅の途中で助けられた事への恩返しとしてのプロジェクトや
ヒマラヤの国ブータン幼稚園・小学校支援プロジェクト
ギニアで井戸を掘るプロジェクト
西アフリカ・ギニアに診療所を作るプロジェクト。
など 本が売れた印税や講演会のお礼などで支援されています。
旅で得たものは「人との出会いが一番の宝物だった」と言う言葉が印象に残っています。
素晴らしい方ですね。
二児のパパ
戻って来てから結婚されています。
奥様の名前が佳子さん(32歳)
お子さんも二人いて長男が7歳 下の子がまだ4歳位だと思います。
今年の夏から秋にかけて,自転車で講演をしながら日本を走る「夢の架け橋プロジェクト・パート2」を企画しています。
今回は息子を連れて走ろうと思っていますが,まだ2歳ですのでどれだけのことができるか未知数です。
http://www.labo-party.jp/special/index25.php 引用
と書いてあるのを見ました。
今度は家族で2周めの世界一周旅行が夢だとか。
子供が大きくなるのが楽しみですね。
お父さんと同じように冒険家になるかもしれませんね。
まとめ
坂本達さんは結婚してお子さんも二人いました。
世界へ目を向けさせてもらった父親のように今度は自分の子供達に、夢を与えるのでしょうね。
いや坂本さんは、世界の子供たちの為にも恩返しと称してボランティア活動をしています。
彼が有給を貰えたのは、夢を諦めずに努力したからこそ、その努力をミキハウスという会社の社長に認めてもらえたから出来た事だと思いました。
私も夢をあきらめないで努力しようと思いました。
がんばろう!
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
<追記>
2017年10月笑ってこらえてで久しぶりに坂本達さんの事が報道されていました。
アフリカ・ギニアで尊敬されている日本人の中に坂本達さんがいました。
ギニアで旅の途中にマラリアにかかって生死の境目をさまよっていた時に、貴重な薬を分けてくれたギニアの人々に恩返しの為に井戸を掘ったのです。
その井戸が今でも村の人たちの重要な飲み水になっていて、きれいな水のお陰で病気が減ったと感謝されていました。
こういう事をみると、とても日本人として嬉しいですね。
世界の平和に貢献している坂本さんを尊敬します。