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こんにちはオカンです。

ニュースを見ていたら、安倍総理大臣がポツダム宣言を「つまびやかに読んでいません。」と言う発言が話題になっていたので、

ポツダム宣言とは?聞いたことはあるけれど詳しくは知らないので調べてみました。

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ポツダム宣言の詳細は教科書に載ってない?

早速ですがポツダム宣言とは簡単に説明すると

日本が戦争をしていたことは知ってますよね。

それを集結させるために、ざっと言うと、アメリカ合衆国大統領、イギリス首相、中華民国主席の名において、1925年7月26日に日本に降伏をするように宣言したものです。

ポツダム宣言があまり知られていないのは、日本の教科書に書かれていないからだそうです

それでも総理がつまびやかに読んでいないという発言はどうなんでしょうね。

私も知らなかったけれど。。笑

又「つまびやか」と普段効かない言葉ですね。

私にはさっぱりわからない言葉なので調べてみました。

つばひら か 【詳▽らか・審▽らか】

〔平安時代,漢文訓読に用いられた語〕

「 つまびらか 」に同じ。 「いまだ-にせず/名語記」

つまびら か 【詳▽らか・審▽らか】

〔古くは「つまひらか」。「つばひらか」の転〕

くわしく明らかなさま。こまかい点まではっきりしているさま。

三省堂大辞林 引用。

どうやら古い言葉のようです。

ポツダム宣言ですが、原文を訳したものはとても難しいので、私がもし孫に質問されたらどう答えるだろうというくらいに、自分なりに解釈して書きました。

専門家とは違うので、そう思って読んで頂けたら幸いです。

平和

ポツダム宣言が出された経緯

第一次世界大戦のあとに、平和を守ろうとして国際連盟ができましたがそれでも、第二次世界大戦が勃発し大きな戦争が起こってしまいました。

それでそれを収めるために今度はアメリカやイギリス・ソ連が中心となって、国際連合を立ち上げました。

およそ50ヶ国が参加したそうです。

そしていつまでも戦争をやめないイタリアやドイツ・日本を武力で抑え始めたのです。

1943年にイタリアが降伏 1945年5月にベルリンが落ち、ヒットラーが自殺してドイツが降伏しました。

それでも日本はまだ戦争を止めようとしませんでした。

それでどうすれば日本が戦争を止めるのかをドイツにあるベルリン郊外のポツダムと言う街で会議が開かれ連合国が共同で宣言したのがポツダム宣言です。

ポツダム宣言の簡単な内容

  • 日本に秩序が戻るまで連合国側が日本を占領する事。
  • 日本の軍隊は解散する事。
  • 戦争を起こした責任者を裁判にかける事。
  • 日本を民主主義国家にする事。
  • 日本がもしこの宣言を受け入れないなら日本が壊滅するまで連合軍が攻撃する。
  • という内容が書いてありました。

    詳しい内容はこちらをお借りしました。

    ポツダム宣言
    1. 我々、アメリカ合衆国大統領、中華民国主席とイギリス首相は、我々の数億の国民を代表して協議した結果、この戦争終結の機会を日本に与えることで意見が一致した

    2. アメリカ、イギリス、そして中国の陸海空軍は、何度も陸軍、航空編隊の増強を受けて巨大になっており、日本に対して最後の一撃を加える体制が整っている。この軍事力は、日本が抵抗をやめるまで同盟国によって維持できるものだ。

    3. 世界中の自由な人々は立ち上がった。それに対してドイツが採った無益かつ無意味な抵抗の結果は、日本の人々に対しても極めて明快な例として示されている。現在日本に向かって集中しつつある力は、ナチスの抵抗に対して用いられた力―全ドイツ民の生活、産業、国土を荒廃させるのに必要だった力―に比べると、測り知れないほど大きいものだ。決意をもって、我々の軍事力全てを投入すれば、日本軍は壊滅し、また、日本の国土は焦土と化すだろう。

    4. 日本が決断する時は来ている。知力を欠いた身勝手な軍国主義者によって制御され続け、滅亡の淵に至るのか。それとも、理性の道を選ぶのか。

    5. 我々の条件は以下の通り。条件からの逸脱はないものとする。代替条件はない。遅延も一切認めない。

    6. 日本の人々をだまし、間違った方向に導き、世界征服に誘った影響勢力や権威・権力は、排除されなければならない。無責任な軍国主義が世界からなくなるまでは、平和、安全、正義の新秩序は実現不可能である。

    7. そのような新秩序が確立されるまで、また日本の戦争遂行能力が壊滅したと明確に証明できるまで、連合国軍が指定する日本領土内の諸地点は、連合国軍がこれを占領するものとする。基本的目的の達成を担保するためである。

    8. カイロ宣言の条項は履行されるべきものとし、また、日本の主権は本州、北海道、九州、四国及びわれわれの決定する周辺小諸島に限定するものとする。

    9. 日本の軍隊は、完全に武装解除されてから帰還を許し、平和で生産的な生活を営む機会を与えることとする。

    10. 我々は、日本を人種差別し、奴隷化するつもりもなければ国を絶滅させるつもりもない。しかし、われわれの捕虜を虐待した者を含めて、全ての戦争犯罪人に対しては厳重なる処罰を行うものとする。日本政府は、日本の人々の間に民主主義的風潮を強化しあるいは復活するにあたって、障害となるものは排除する。言論、宗教、思想の自由及び基本的人権の尊重が確立されなければならない。

    11. 日本は産業の維持を許される。そして経済を持続し、正当な戦争賠償の取り立てに充当する。しかし、戦争を目的とする軍備拡張のためのものではない。この目的のため、原材料の入手はこれを許される。ただし、入手と支配とは区別する。世界貿易取引関係への日本の事実上の参加を許すものとする。

    12. 連合国占領軍は、その目的達成後そして日本人民の自由なる意志に従って、平和的傾向を帯び、かつ責任ある政府が樹立される限りにおいて、直ちに日本より撤退するものとする。

    13. 我々は日本政府に対し日本軍の無条件降伏の宣言を要求する。かつ、誠意を持って実行されるよう、適切かつ十二分な保証を求める。もし拒否すれば、日本は即座にかつ徹底して撃滅される。http://www.huffingtonpost.jp/2015/05/20/potsdam_n_7341178.html 引用

    これも簡単だそうで原文は英語で保存されているのは、相当難しい文体です。

    もし拒否したら徹底して撃滅?

    怖い!危なかったですね。

    ポツダム宣言をはじめは断った?

    終戦の年、1945年6月23日沖縄がアメリカ軍の攻撃を受け20万人の犠牲者をだして占領されました。

    沖縄が占領された事で、アメリカの攻撃を受けやすくなったにも関わらず。

    しかし最初は、日本の軍は宣言を受け入れずに、日本人がひとり残らずいなくなるまで戦うと答えたのです。

    その後アメリカ軍による、1945年8月6日広島への原子爆弾投下。

    続いて8月9日長崎にも投下されました。

    これは世界史に残る。

    とても悲惨な戦争の結末でした。

    世界中で唯一原爆による被害を受けたのが日本です。

    広島と長崎の被害者は、両方合わせて60万人の犠牲者を出したのです。

    国民は原爆の恐怖におののき、満州事変から14年も続いた長い戦争に苦しみ、家族を失った悲しみでだんだんと軍に協力しなくなってきていました。1945年8月14日 ポツダム宣言を受諾したのです。

    次の日8月15日 天皇陛下自ら日本国民に向けて戦争が終わったと放送があった事は皆さん良く知ってると思います。

    天皇陛下自ら決断したという情報のこちらに書かれていたので、引用させていただきます。

    実録では、連合国が日本に降伏を求めたポツダム宣言を入手した昭和20年7月27日から降伏の玉音放送が流れた8月15日までの20日間を36ページにわたり詳述。

    それによると、昭和天皇は広島に原爆が投下された2日後の8月8日、賜謁した東郷茂徳外相に「なるべく速やかに戦争を終結」させたいとの希望を述べた。

    翌9日午前9時37分、ソ連軍が満州侵攻を開始したとの報告を受けると、直後の9時55分、木戸幸一内大臣を呼び、戦争終結に向けて鈴木貫太郎首相と「十分に懇談」するよう指示。

    木戸内大臣から天皇の意向を聞いた鈴木首相は、午前10時30分開催の最高戦争指導会議でポツダム宣言への態度を決定したいと答えた。

    10日午前0時3分、御前会議が開かれ、鈴木首相から「ご聖断」を求められた昭和天皇は、ポツダム宣言受諾を決心したと述べた。

    昭和天皇のポツダム宣言受諾決意の時期には、広島や長崎への原爆投下時、ソ連参戦時など諸説あったが、実録を分析した京都大の伊藤之雄教授(近現代史)は、広島への原爆投下時では2日後に終戦の意向を閣僚の東郷外相に伝えたのに対し、ソ連参戦時は直後に側近中の側近だった木戸内大臣に指示した点を重視。

    「ソ連参戦がポツダム宣言受諾を最終的に決意する原因だったことが改めて読み取れる」としている。

    実録の記述により、連日の本土空襲や原爆投下などで終戦の意向を強めた昭和天皇が、ソ連参戦で万策尽きたと判断。これ以上の犠牲を広げないため、即時終戦に向けた動きを主導した当時の様子が明らかになったといえる。

    http://www.sankei.com/smp/life/news/140909/lif1409090011-s.html引用

    終戦記念日です。

    最初国民は悲しみましたが、でもすぐに戦争が終わったことを喜んで、強く立ち上がり今の日本ができたのです。

    もしポツダム宣言を受諾しなかったら、日本は連合軍の攻撃を受けて壊滅していた。

    一応戦後生まれですからね。

    そして今私は生まれていない。(笑)

    今の日本は平和ですが、過去の戦争でたくさんの人が犠牲になり、苦しんだ事は絶対に忘れてはいけないと思います。

    まとめ

    ポツダム宣言の内容は簡単にいうと、国際連合が日本に戦争を止めるように説得するために、ドイツのポツダムで宣言書を作って日本に出したものでした。

    もしそれを受諾していなければ、日本は壊滅していたかもしれない。

    戦争は二度と起こしてはいけませんが、ポツダム宣言のおかげで日本は戦争を止める事ができたんですね。

    大事な事ですから調べて良かったと思います。

    最後まで読んで頂いてありがとうございました。

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